Posted 1 week ago
Posted 1 month ago
私は、試合に勝った時は選手をたたえるし、試合に負けた時は監督の責任だと考える。相手が良かった云々ではない。それが私の監督としての哲学だ
Posted 1 month ago
一見、コンビニで売られているビニール傘と同じように見えるが、じつは質も全く異なる特別仕様の傘だという。園遊会用の傘「縁結(8400円)」と選挙用の傘「シンカテール(5250円)」を製造・販売する傘会社ホワイトローズ株式会社で、お話をうかがった。何が違うのだろうか? 
「コンビニなどで売られているビニール傘は生地に単体オレフィン生地を使っていますが、縁結は3層構造のオレフィン生地を使い、濡れても生地がベタつかないようにしています。傘布と各骨の接合部分に、傘を広げた際、内側から風にあおられても風が抜ける工夫が施してあり、持ち手にかかる負担を和らげます。雨の園遊会の際、美智子さまが傘を肩にかつぐようにお持ちになりご挨拶される。ゆえに、まともに風が吹くと負担になってしまう。それを軽減するために考えました」
Posted 1 month ago

 お金はね、あるんだ。自慢に聞こえたらアレだけどさ。

 会社に入って二年経ったくらいの頃、欲しいものはもう一通り買ってしまって、どうにも金が余るんで寄付ばかりしてた時期があってね。そのころにフォスター・プランってのに参加したことがある。なにかっていうと、貧しい国の子供達に教育を受けさせるための募金なんだけども、参加するとその子供からお礼の手紙が届くんだ。お礼って言ったら変だな、こう、学校の写真とか、家族の写真とか、学校で習ったこととか、将来の夢とか、そういうのを綴った手紙。でも、まあ要はお礼だよね。ぼくのときはネパールだったけど、ガネシュ君って七歳の子から手紙が来てさ。まあよく出来た手紙でね、最後は「ぼくが一番好きな国は日本です。大人になったら日本で働きたいと思います」で結ばれてたよ。ぼくはもう即効で破り捨ててガスコンロで燃やして、それっきりぱったり寄付をしなくなった。

 たいした金額じゃないんだよ、ぼくが寄付したのは。百年続けてやっと日本の大学の四年分とか、そんなもんだね。それっぽっちの金でそんなことまでさせちゃうわけよ。「一番好きな国は日本です」だよ? そんなことを七歳の子供に言わせてるぼくは一体なんなんだろうって思うじゃない。ただ生まれた国が違うってだけでさ。一日バイトすれば稼げるくらいの金を送った程度のことでさ。それに、何より嫌だったのは、その手紙を読んだ瞬間、ぼくはこれをやりたくて募金をしてたんだ、って気付いちゃったんだよね。ぼくは無償のつもりで募金をしてたけれども、心の底ではずっとああいうものを期待してたんだ、って。

Posted 1 month ago
 「障害者にだって、飲んべえや、エロや、ろくでなしもいる。肉体というものは、言ってみれば“容器”なのだ。その中にどんな中身が詰まっているかなんて、開けてみなければわからない。その容器だけを見て、蔑んだり、期待したり――それがいかにバカバカしいことか、僕らはそろそろ気づくべきだ」
Posted 1 month ago
ウガンダという国にはブガンダという王国があり、そこの言語はルガンダである。
Posted 1 month ago
「何卒、ご回答をお願いします。」とのメールに「大卒です。」と返信した期待の大物新人が隣に座っています。
Posted 1 month ago
Posted 2 months ago
例えば好きになった犬がいるとしよう。その犬に彼犬がいたとしたとしても、その犬の事は好きだろ。
つまり愛とはこういう事だよ諸君。
Posted 3 months ago
欧州連合で最も人口の多い都市圏は、ロンドン、パリ、マドリード、ルール地方、ベルリン、バルセロナ、アテネ、ローマ、ハンブルグ、ミランとなっている。意外にも、この次に多いのが270万人の人口を有し、現在シレジア大都市圏(GZM)への改名を試みているポーランドの都市、カトヴィツェなのである。石炭と鋼鉄が今も栄え続けるこの場所で、後にドイツサッカーの英雄となるルーカス・ポドルスキが1985年に誕生した。

ポドルスキが二歳になった頃にポーランドの経済不況はピークに達し、彼は両親と共にドイツへ移住した。家族が1945年までドイツ領土だったグリヴィツェ(ドイツ語ではグライヴィッツ)の出身であることからドイツ国籍を取得し、同じく上部シレジアに位置するオポーレの出身であるミロスラフ・クローゼと同じように、生まれ故郷であり、言葉も流暢に話せるポーランドの代表選手にならないことを決意した。クローゼは自身をドイツ人やポーランド人ではなくヨーロッパ人と表現し、ポドルスキは自分の胸の中に二つの心臓が鼓動していると話している。

長年に渡り工業地帯として栄えてきた土地柄、上部シレジアにはドイツ人、ポーランド人、ユダヤ人が多く住むものの、シレジア語とシレジア文化が根強く影響力を発揮し続ける地域である。シレジア語が独自の言語なのか、ポーランド語の方言にすぎないのか議論を呼んでいるが、いずれにせよ、ドイツ語の影響を強く受けているシレジア語がポーランド人にとって非常に聞き取りにくいのは事実である。他の地域のポーランド人と異なり、シレジア人はポーランド語を非常に強い訛りで話す傾向がある。ポドルスキのポーランド語は、スティーブン・ジェラードやクレイグ・ベラミーの英語と同じくらい訛りが強いと考えていいだろう。

1989年に共産主義体制が崩壊してから、シレジア文化復興の流れが組まれ、ポーランド人ではなくシレジア人としての自己主張を強める地元住民も増えていった。経済的に国に大きく貢献してきたにもかかわらず、首都ワルシャワの政府におろそかな扱いを受けてきたという不信感も一つの要因である。カタルーニャ、バスク地方やスコットランドのそれに近いとも言えるこのナショナリズムは、近年には政治やサッカーにまで影響を及ぼすようになった。

過去50年に渡って主要な代表戦が行われてきたポーランド代表チームの本拠地、シレジア・スタジアムを有し、国内最高の交通網を誇るにも関わらず、シレジアは2012年の欧州選手権のホスト都市には選ばれなかった。しかし、これにはグダニスク、ポズナンやヴロツワフの観光地としての知名度を高め、国全体の交通網を発展させる狙いもあったことを考えると納得できないこともない。より失望を招いたのは、カトヴィツェの積極的な働きかけにも関わらず、ヴロツワフが欧州選手権のホスト都市に選ばれた上に、2016年の欧州文化首都にも選ばれたことだった。

ごく最近に、野党「法と正義」の党首であるヤロスワフ・カチンスキは、国勢調査でシレジア人を名乗ることは親独感情のカモフラージュであり、自らをポーランド文化から切り離すことだと批判した。この発言は大きく裏目に出ることになり、2002年の173,000人に比べ、2011年の国勢調査では800,000人以上がシレジア人として自己宣告を行った。これに加え、ルフ・ホジューフ(ライバルのグールニク・ザブジェと並び、ポーランド屈指の強豪クラブ)のサポーターは「To My Naród Śląska(我らがシレジア国家)」やドイツ語で上部シレジアを指す「Oberschlesien」と書かれた横断幕などを掲げることも多い。

ポドルスキが自身のポーランド人としてのアイデンティティを強調することで得るものは多く、失うものは無い。デイビッド・ベッカムの流れを汲むスター選手である彼は、広告やCMに頻繁に出演し、自身の公式ホームページもドイツ語、ポーランド語、英語に翻訳されている。しかし、ポーランドでは彼がドイツ代表を選択したとことを裏切りとする意見もある。2008年の欧州選手権で、ポドルスキの2得点でドイツがポーランドに2-0で勝利したのも、さらにこの印象を強めたのかもしれない(ポドルスキは得点後のゴールパフォーマンスを行わない対応を見せたのだが)。彼のこの姿には同じくシレジア出身のストライカーであるエルンスト・ヴィリモフスキを重ね合わせることができる。1938年のワールドカップでブラジル相手に4得点を決めてポーランドを勝利に導いたヴィリモフスキだったが、第二次世界大戦でドイツに亡命したため、(その他大勢のシレジア人と同様に)終戦後も帰国することを許されなかった。

保守派のポーランド人にとってシレジア人は未だに疑惑の対象であり、シレジアの自治権を求める動きをドイツ政府の陰謀とする声もある。こうした疑惑には、シレジア自治運動(RAŚ)が1927年に設立されたポーランドリーグの初期メンバーであり、当時ドイツ系のチームとして認識されていた1.FCカトヴィッツを、1.FCカトヴィツェとして再建させたという裏付けもある。さらに、1920年代にはポーランド人にとってナショナリズムの象徴となっていたルフ・ホジューフが、現在は「シレジア国家」という比較的新しい概念と蜜月関係にあることが、さらに状況を複雑化させている。

グールニク・ザブジェのファンであり、ポーランド人としてのアイデンティティを保ってきたシレジア人の中で最も著名なポドルスキは、皮肉にもドイツ代表でプレーすることを選んだのだ。アーセナルへの移籍が成功すれば(これにはロビン・ファン・ペルシを残留させられるかがおそらく鍵となる)、彼の生まれ故郷にもようやく注目が集まるようになるかもしれない。共産主義時代、シレジア周辺のクラブが42シーズン中、25回も優勝を果たし、ポーランドのリーグタイトルを独占していた。1989年には上位3チームがルフ・ホジューフ、GKSカトヴィツェ、グールニク・ザブジェだったが、この年を境にシレジアのクラブはタイトルから遠ざかっている。地域の強豪クラブがこうして衰えていく流れに逆らうかのように、ポドルスキというスター選手が誕生した。彼の故郷の複雑な歴史的背景を考えると、ドイツ代表を選択したことに驚くべきではないのかもしれない。